当たり前の日常という、祈り

アーティスト内田松里さん

 


また今日も夜が明けて、朝が来て。まだ薄暗いリビングに、蝋燭の灯りが点る。ストーブが点火する。静寂の中で、内田松里さんの1日がゆっくりと、ゆっくりと、始まる。部屋に差し込む光に照らされたモノたちも、今日という真っ新な物語をゆっくりと始めるように見える。


「暮らしが一番大事。日常が整ってること、愛する家族にちゃんとご飯を作ってあげられることが一番大事。」

そう話す松里さんのキッチンには、沢山の食器と道具がきちんとそれぞれの居場所に仕舞われ、その出番を待っている。季節の仕込みものがカウンターに並び、里山の豊かな暮らしを静かに物語る。食卓に生けられた野草のタデの花が、窓の外と家の中の風景をつなぐ。

 



「絵はね、私の中でそんなに優先順位が高くないんよ。」
著名アーティストのCDや本のジャケットなどを手掛け、絵を描く人、として知られている松里さんだが、実はそう話してくれた。

「ただ、自然のような綺麗なものを見たら、描きたい衝動に駆られる。神様のしている創造の意味を理解したいから、それを描いてみたいと思う。だけど神様が創ったものをそのまま描いても叶うわけはないから、そこに私の表現が存在するんやろうね。」

表現というものは、その人が今まで生きてきた時間を想像するためのヒントとなる。この色彩はどこから来るのだろうか。この光は、どうして描かれているのだろうか。松里さんの描く絵に向き合った時、私たちは松里さんの生きてきた時間を、わずかであったとしても共にし、それが今度は私たちの一部となっていく。空想の世界でもない、幻想と現実の間のような松里さんの絵を見つめていると、この描き出される世界の根源に触れたくなってくる。

 

 

絵という表現に導かれて



「夜が怖かったんよ、私。寝るのが嫌で。しょっちゅう布団の中で、生まれる前私はなんだったんだろう?なんてことを、小さい時からよく考えてたなあ。」

子供時代を振り返りながら、ぼんやりと残る、そんな記憶。ゴムとび、探偵、ごっこ遊び。当時は、まだ子供が子供でいられる時代。近所には沢山の子供がいて、毎日外を駆け回って遊ぶことに夢中だった。

一方で、学校で絵を描くと事あるごとに入賞するなど、絵という表現は得意な方だった。中学時代、弟の夏休みの宿題であった自画像を代わりに描いてあげると、その絵が入選して新聞に載ってしまうこともあったという。かといって、絵に傾倒していたわけではなかった。けれど高校時代、その後の進路を考える際に、絵は大きなきっかけとなった。

「特に将来のビジョンもなかったけど、隣の席の子が美術大学に進学するって知って。だったら私の方が彼女より絵も上手いし、自分もいけるんじゃない?という理由で、美大進学を決めました。笑」

絵によって導かれた選択によって、今まで生きてきた松里さんの世界を大きく変える世界がそこに待っていた。美術大学にいくためにアトリエに通い始めると、そこにあったのは今まで出会ったことのない世界だった。

「美大を目指す人たちの格好良さに、すごい衝撃を受けたね。」

1980年代の終わり頃、当時はまだファッション=音楽の時代。美大を目指す同年代の友人たちは、レコード屋やクラブハウスなどのミュージックシーンで 、“かっこよさ” を仕入れていた。

「とにかく、どんな人に出会うか、が大事でね。音楽の場で出会う人から凄い影響を受けてたね。音楽とファッションの世界にどっぷりハマって、大学には受かったけど、入った後は絵なんて全く描いてなかった。」

 



美術大学を卒業後も、お金を貯めては、NYやロンドンへ向かい海外の音楽シーンを経験する。

「出来ればずっと、音楽に関わっていたかった。」
そんな、音楽に浸る毎日の中で、得意だった絵やデザインも自然とそこに絡み合っていった。ミュージックイベントのフライヤーや、アーティストのCDやレコードのジャッケットデザインなどを頼まれるようになっていった。

「描くときは、自分がその人たちに惚れ込むまで彼らの音楽を聴いて、考えて、また聴いて。表現対象と一心同体になるまで、聴き込む。ある意味、私が彼らになる感覚までね。」

その頃、バンドマンだった現在の旦那さんと出会い、結婚した。二人の暮らしの中にも、自然と音楽と絵が在った。

 

 

突然の別れ

子供にも恵まれ、そこから暮らしの中心は子供たちを健やかに育てることへと、自然にシフトしていった。
「一生懸命、子育てがしたい。その時はただそれだけが頭にあったかな。」

長女が小学四年生、そして長男の泰平(たいへい)君が年長さんになる春を目の前にして、東日本大震災が起こり、日本列島を揺るがした。松里さんは2人の子供たちを連れて、九州へと一時避難する。
その疎開先で、それは起こった。

当時年長さんになったばかりの泰平君が交通事故で亡くなった。2011年5月の事だった。

 

後編につづく。