ゆっくりであることは、美しい

four peas flowersオーナー 翻訳・通訳者 三井聡子さん

 

ことばに溢れた世界と、ことばのない世界。その間に立って、日々を生きる女性がいる。

篠原という地に構えられた三井聡子さんの畑を訪れたのは、木々が葉を落とし山肌を見せる前の冬の始まりの午後だった。

目の前にはどこまでも続く山々、そしてその上をゆくのは時の流れを描くかのように悠々と動く雲。

畑にはもうすぐやってくる厳しい季節の前に、午後の光を一身に受けて咲く小さな花々が健気だ。

聡子さんの話す “ Slow is beautiful (ゆっくりであることは、美しい)”という言葉が、降り注ぐ冬の斜陽ともに、自然と懐に差し込んでくる。

 

ありのままを受け入れる

ことばというものに日々向かい合っているからこそ、ことばを持たない花のようなものを目の前にした時、汲み取れるものがあるのかもしれない。

7歳の頃から15歳ごろまで米国・ニュージャージー州で過ごしたこともあり、25年以上も翻訳・通訳という人と言葉の間に立つ仕事に関わってきた。「長年、人の話したことを変換する仕事を続けていると、自分の手で何かを生み出したいという思いが湧き出てきて。」そう話す聡子さんが、その何かを模索している時に出会ったのが、スローフラワーだった。

10年ほど前、日本の花市場では、オーガニック且つ地球への負荷を軽減しながら種子から花の露地栽培をする「スローフラワー」というものは、ほぼ皆無に等しかったという。

当然ながら、スローフラワーの栽培方法を教えてくれる人も、日本にはいなかった。

自身の言語能力を生かして米国のスローフラワー栽培農家にノウハウを学び、そこから翻訳者兼花農家としての暮らしが始まった。

常に文字に目を凝らし、発せられる言葉に耳を傾けてきた先の聡子さんの世界は、ことばなきものたちに目を凝らし、自然の音に耳を傾ける正反対の世界だった。

ことばがないということは、自分が思うように物事を伝えられないということでもある。そこに存在するのは「受け入れる」という在り方だった。「仕事だと粘り強く諦めずに頑張るけれど、 花を育てる中で強いられてきたのは、受け入れて諦めること。自分でコントロール出来ることは限られていて、いくら急かしても育ってくれないから、とにかく待つ。今まで猛スピードで進んできた私の人生に、花の仕事がスローダウンして、ありのままを受け入れて待つことを教えてくれたかな。あと、色々なことを手放すことも。」

 

 

子供といういのち、花といういのちを育てること

スローフラワー栽培の屋号、 <four peas flowers>。four peasとは、4つの(鞘に入った )豆、という意味で聡子さんの4人の子供たちを表している。

4人の子育てと、翻訳・通訳業。 想像するまでもなく、各々が大仕事であり、決してその道のりは平坦ではなかっただろう。けれど、それぞれのパズルのピースがお互いにカチッとはまったように、それぞれの道がつながり合って、スローフラワー農家という場所に、現在の聡子さんがいる。「子育ても、花の栽培と同じで、ありのままを受け入れることそのもの。そして根拠のない自信と共に、信じて待つこと。ただそれは、手をかけているからこそ信じて待てるんだと思います。」

4人の母としての経験が、花農家としての聡子さんにそうやって思い出させてくれることは、数知れない。「畑も、1週間ぐらい放置すると雑草だらけになるから、日々少しずつ手をかけてやることが大事。ありのままに見せるための手入れ、というのかな。子育ても、あまり余計なことは言わず、やることをやったら後は見守ることですね。」

4人のお子さんの中には、すでに成人した子もいれば、今まさに思春期真っ只中のお子さんもいる。「思春期になると特に、いくらこちらが言っても、相手の心は開いていないから、あまり余計なことは言わず、待って待って待つ。雪が溶けるのを、ひたすら待つ。焦らない。でも、必ず春は来るんですよね。」

母としての日々と、花農家として畑で過ごす日々が、自然と重なっていく。 「思春期って、最初は真っ直ぐだった花が、雨や風で曲がって、それでもいのちは太陽を目指して 伸びていくから、何だか曲がった状態で成長していくみたいなね。」と聡子さんは笑う。

翻訳・通訳だけの仕事をしていた時は、自分自身が人と言葉の中心にあって、「私」が主軸だった。けれど、花を育てること、子供を育てることにおいては、そうではない。

自分の思い通りにいかないことが増えていった。その両方を経験するうちに物事を受け入れることを覚え、それが積み重なるにつれて、世の中に対してもっと大らかにいられるようになった気がする、と聡子さんは話す。

両極端の仕事をしているからこそ見えてきたものがある。それが、聡子さんの話す、受容や順応という優しさにつながっているのだろう。「最近は花を敢えて好きなように曲がらせてみたり、大雨で花が倒れたなら、その倒れた中にある美しさを楽しんでみたり。実際そういった花の美しさを求めて私の畑にやってくる華道家さんもいます。」

 

 

花が映し出すもの 

「four peas flowersの切り花は腐らない。」聡子さんの育てる花を知る人は、そういう。

盛りを過ぎた four peas flowersの切花は、腐ることなく、ドライフラワーのように水分が抜けていくというのだ。

なぜかを問うと「それはよくわからないけど、ある人はお花に余計なものが入っていないからだ、って言いますよ。露地で良い土で育って、雨風に耐えて、本物の太陽の光を浴びて育った花だから、だって。」と聡子さんは教えてくれた。「最後まで花のいのちを観察できるのがいいですよね。」

盛りの時だけではなく、その後にも違う美しさが現れてくる花。

露地で力強く生きてきた日々が映し出されるのだろう。それはまるで、私たち人間が歳を重ねていくほどに、その人自身の生き様が現れてくる様子そのものだ。

 

目的ではなくプロセスの中にあるもの

聡子さんにとって、スローフラワーを育てることは、オーガニックに花を育てることが目的ではない。

自身の花栽培を通して、さまざまな循環を創り出すことが聡子さんにとっての悦びであり、醍醐味なのだ。「オーガニック栽培と言うより、環境になるべく負担をかけないやり方を模索しながら、自然の中でこれからずっと続けていける形を作っていきたい。」と聡子さんは言う。

土の中の世界をなるべく邪魔することなく、そして肥料もなるべくその土地の植物性のものを。水やりは朝露に任せる。そして惜しみなく降り注ぐ太陽の光を受けて逞しく育った花々を、遠くへ出荷するのではなく、できるだけ自分自身で地元や顔の見える人々の手に渡していく—-。とはいえ、そんな風に言葉で書くことは容易い。実際には自然界相手だからこそ容赦ないこと、待ってくれないことも多いだろう。けれども、「循環」を選択し尊重したとき、生き急ぐことなく、そこにある見えない世界に心を向けて目を凝らし耳を澄ませることを強いられる。

自分にはコントロー ルできない自然界に向き合うことは、真の創造性が生まれるクリエイティヴプロセスだ。そして循環という名の調和を描きながら、それぞれの季節の美しさをゆっくりと分かち合っていく中で生まれるものはとても尊いものであることを聡子さんは知っている。だからこそ、スローフラワー という選択をする。

時には作業着のまま畑を抜けて、翻訳・通訳のオンラインミーティングに参加することがあるほど、普段から人一倍、人と言葉の中に生きる聡子さん。

翻訳・通訳とは、行間や、言葉にならない部分をも訳していかなければいけない仕事だ。だからこそ、自然界という非言語の世界と向き合ったときに、聡子さんが受け取るものはきっと多いのだろう。「自然の呼吸と共に、花の移り変わりも感じながら作業できることが幸せ。畑では、自分や周りのものが季節のフローと一緒に流れている感覚が強くあって、それがとても心地よくて。ふと目の前の山に目をやって、綺麗だな、世界・・と感じることがよくあります。」そんな風に、畑に来るとスローダウンして呼吸が深くなる感覚は、1日の終わりに心地よいパジャマに身を包んだ時に似ている。

 

 

その日、聡子さんは畑が休眠に入る前のシーズン最後の花を収穫した。

自分の育てた花を語る聡子さんの表情は、この日の優しい光に照らされて、気持ちいいくらい眩しい。その鮮やかで美しい花たちを大切に腕に抱いて歩く聡子さんの後ろ姿は、懐深く、逞しく、凛としていた。

4人の子供たちを、その手で育て上げてきたお母さんの面影が、そこにあった。

 

 

text:Misha Aoki Solorio

Photo:Kyouhei Yamamoto

 

 

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三井聡子さん

1977年、石川県生まれ。両親の仕事の関係で、米国・ニュージャージー州で子供時代を過ごす。帰国後はICU高校に進学し、日本大学芸術学部にて木版画を専攻。卒業後はベンチャー企業に勤務、翌年長女を出産。30歳を機にフリーランスの翻訳者として独立し、再婚後3人の子供を出産。子育てにより良い環境を求めて2010年に神奈川県・旧藤野町へ移住。翻訳・通訳者として活躍しながら、2017年 < four peas flowers >を立ち上げ、日本に数少ないスローフラワー農家として新しい形の花の生産流通やライフスタイルを提案している。

 

□WEBSITE

https://fourpeasflowers.com 

 

□instagram

@fourpeasflowers 

 

 

February 06, 2025 — KandoriTomonari